敷かれたレールの上を歩いてきた平凡な男が、親の言いなりでもなく、会社員や資格にも頼らず、自分で道を切り開く物語
これからお話しするのは…
決められた
人生のレールを歩き
希望を持って
家業を継ぐも…
父からの裏切りを受け…
親の会社を飛び出し
人生の方向性が激変
完全0から
スタートすることになった僕が
たった1つのキッカケにより
自分の力で
収入を生み出せるようになり
新しい人生を歩んでいる
まるで
夢のような本当の物語。
はじめまして、しゅうです。
僕は現在、親の会社から離れ、国家資格である薬剤師の資格にも頼らず独立し、個人事業主として生活しています。
具体的にはインターネットを活用し
・教材販売
・会員制学習コミュニティの運営
・コンテンツビジネスのコンサルティング
(ジャンル:ビジネス、恋愛、人間関係、デザイン、不動産)
・マーケティングのコンサルティング
(ジャンル:アフィリエイト)
を行っています。
これまでの経歴を簡単にお話しすると
✔︎薬剤師をやりながら副業でブログやYouTubeを初めて独学1ヶ月、収益ゼロ
✔︎その後ネットビジネスに出会い、1ヶ月後には初収益500円
✔︎6ヶ月後には月収40万を達成し、薬剤師を卒業
✔︎2年が経ち月商136万達成
今の今まで本当に沢山の出来事がありました。
現在の僕の生活を箇条書きにすると
✔︎パソコンとスマホがあればどこでも仕事できるので在宅で作業かお気に入りのカフェへ
✔︎平日にふらっと飛行機で沖縄や大阪などに出かけられる
✔︎嫌な人間関係がなく、関わりたい人と関わっている
などです。
今ではストレスなく自由な働き方ができるようになり、時間や場所に縛られない生活が、当たり前になりました。
最近では朝にゆっくりコーヒーを飲んでパソコン開き、好きな動画を見るのにハマってます。

今ではこんな生活をしていますが、ビジネスを始める前の僕は今とは真逆の生活です。
人間関係に疲弊し、仕事に行くこと自体がストレスで毎日生きづらさを感じていました。
そして元々は、パソコンなんてほぼ触ったことがなく、ブログを立ち上げるのにも1日以上かかってました笑
正直な話、SNSも発信するのが、全然得意ではなかったです。
信じられないと思うかもしれませんが、自分のことを発信するのが苦手でした。
そのぐらいネットに縁がなかった僕が『なぜ』たった6ヶ月で薬剤師から独立し、会社組織に依存する事なく、個人で稼ぐ力を得たのか。
このプロフィール記事では、その秘密を具体的にお伝えしていきます。
・他人の敷いた人生を歩まずに、楽しくストレスのない自分の人生を輝かせる具体的な方法
・会社や親、組織に依存せず力強い個人としてネットで稼ぐための知識
・経済的に自立し、精神的な余裕が確立できる環境整備の具体的な方法など
僕が実際に経験したことを踏まえて、お伝えしていきます。
ここからは、僕の情報発信の内容がより分かりやすくなると思うので、僕の過去の話からしていきます。
「親の会社を継ぎ社長になる」
「薬剤師の資格持ち」
という安定した道を捨てて
「知識・経験・スキル・人脈0」
の僕がコンテンツビジネスに出会いどう人生が大きく変わったのか。

そして、狭い世界しか知らなかった僕が、どうやって個人で稼ぐ力を身につけ、クライアントさんとか関わりながら、時には感謝され、自由でストレスフリーな毎日を手に入れることができたのか。
正直、過去を振り返ると辛かった思い出もありますが…
あなたも変わろうと思い行動すれば、必ず変われると実感していただくため全てお話しします。
敷かれたレールの上を歩いていた過去
現在の僕は30代の個人事業主。
個人で稼いでいると一般的なヒトからしたら珍しいと思われます。
よく言われるのは
「何かスキル・才能が有ったんですか?」
です。
いえ、全然そんなことありません。
むしろ取り柄もなく強みもなく、何しても人並み程度ですし、パソコンの細かいコマンドなんて分からない、SNSで情報発信なんて「無理」「恥ずかしい」こんな状態で元々は何も知らなかったです。
ちっちゃい頃を思い出してみても、何の取り柄もありません。
なんなら、人生ラクをしようとしていました。
なぜなら、僕の実家は薬局経営だったからです。
父の家系が会社をやっていたんです。
しかも、ずっと父に言われてましたね。
「お前は家業を継ぐんだぞ」って。
そこに僕は違和感を感じずに、幼少期の頃からそのまま人生のレールを歩き始めたという過去があります。
親としてはもちろん子供のためと思ってだと思いますが、形作られていたものでした。
大学もいって、壁にぶち当たることなく苦労なく人生が進んでました。
その後も、勉強をして薬剤師の国家試験に受かり、家業を継ぐ前の社会経験として「どこか会社に就職しろ」と父に言われたのもあり、とある製薬会社へ就職します。
とはいっても、仕事は卒なくこなし、休日は飲みにいくという特に代わり映えのない日常を過ごしていました。
普通の会社員だなって感じです。
そして、会社勤めを始めて約3年近く経った頃、父から
「俺の会社に戻ってこい」
と言われ実家の会社の薬局へ戻ることになりました。
「いずれお前へ社長の座を受け渡す」
その時、このように言われたのを覚えています。
希望からの苦悩…

会社へ戻ったときには希望しかありませんでした。
今まで中高大と通って会社員になった普通の人生だったけど「ここからがスタートだな」って気持ちがあり
「薬局をどんどん店舗展開していこう」
「仕事に情熱を持って取り組んでいこう」
「新しい事業もやっていこう」
こんな夢を持っていました。
「父と協力し合いながらやってやる」と本当に希望に満ち溢れていたんですね。
このために、僕は中高大、就職と真っ直ぐに人生のレールを歩んできたんですから。
しかし、理想と現実は違いました。
戻った時、父にこう言われたのを覚えています。
「俺は自分の時間が欲しいからお前を呼んだ」
「現状維持でいいから余計なことをするな、俺の言うことを聞け」
せっかく家業を継ぐなら「協力し合って会社を大きくして稼いでいこう」という僕の強い思いが、一瞬にして潰されました。
さらには
「うちの会社にお前が期待しているほどの未来はない」
2人で飲んでる時にサラっとこの言葉を言ってました。
その時は何も突っ込まなかったですけど、僕の心の中にはその言葉が残っていましたね。
ここまでだと「?」が浮かびますよね。
それだけだったらそもそも会社辞めなくない?と。
まだ続きがあります。
僕は、父の性格を知っているようで、知らなかったみたいです。
近くに1日12時間近くいると気づくものですね。
先ほどのような言葉を言われるとは思ってもいませんでした。
「なんでこんなこと言うの?」
と思って、話し合いをしたこともありましたが、その時は…
「悪かった、協力していこう」
って言うんですよね。
1週間後どうなっているかって言うと、もう言動は元に戻っているわけです。
ちなみに朝は社長出勤が当たり前。
(休憩室で休んでから来る)
夜は社員の誰よりも早く帰ったり、自分の休みを最優先して繁忙期の時に1週間ぐらい海外旅行へいったりです…
従業員は父へ言いたくても言えない、不満はあるけど雇われているからって感じでした。
そのことについて、僕は改善してくれと伝えたけど、一向になおる気配はなし…
ちなみに僕が後継ぎとして入る前から、会社に父の居ない週があったり、平気で社長出勤や従業員に任せて帰ったりしてたみたいです。
会社として仕組みが回り、余力があってなら良いのですが、全くそんなことはなく、従業員の方たちは疲れ切ってました。
疲れ切った職場に悪い雰囲気が出て、従業員同士でお互いの悪口を言い合ってたり…
(止めに入ったりもしました)
内部事情は結構ぐちゃぐちゃでした。
従業員やアルバイトの方が辞めちゃう事も多かったです。
これで売上が立っていたら良かったのですが…売上もどんどん落ちていました。
このような状況で、向上心がなく自己中心的な父と一緒に仕事をするのは、相当ストレスが溜まってました。

先ほども伝えた通り、父が僕に対して心ない言動をするのは他にも沢山ありました。
リーダーという立場を使って僕らに業務をまる投げして、休みにどこかへ行くのも日常茶飯事だったり、何かと理由をつけて休憩室で休んでいる彼を見て…
僕は一緒に仕事をしていくべきか?いっそのこと辞めてしまうか?
本当に悩みに悩んでましたね。
母親や先輩、友人にまでも相談していました。

このような状況の中、僕が一生懸命に仕事をして頑張っている姿を見せれば、彼も変わってくれるだろうと
思っていました。
しかし、この思いは全く違うことに気づかされます。
2年経っても同じように過ごし、店舗展開のチャンスの案件を必死な想いで僕が持ってきたのにも関わらず、大変になりたくないからと拒否されました。
正直、理由が理由でびっくりしました。
もちろん会社の経営も余裕があるとは言えない状況。
実は借金もあって自転車操業でした…
その時、僕はストレスで身体に湿疹が出たんですけど、流石にやばいなって思いました。
父との摩擦、従業員同士のイザコザの仲介役や、仕事量などで精神的なキツさが結構きてたみたいです。

さらには、なんと…父の不貞が発覚したんです。
仕事を休んで彼が旅行へ行ってた時、母以外の女性と会っていたんですよね。
これは僕にとってとてつもなく大きな裏切りでした。
こっちはあんたが女と会っている時に任された仕事を一生懸命してたんだぞ?
「せっかく継ぐから会社をよくしたい」っていう必死な気持ちで。
この時は”悲しい気持ち”と”悔しい気持ち”…この2つがグルグルして僕は正常な精神状態じゃなかったと思います。
一番辛かったであろう母は金銭的な理由や体裁で離婚を選択しなかったわけですが…
今でもこの事実が発覚した時に、母が泣いていたのを鮮明に覚えています。

ここで僕の心の中で、ぷつんと何かが切れたんです。
怒って切れたとかじゃなくて父と会社を頑張っていこうという情熱がぷつんと無くなってしまったという感じですね。
僕の幼少期の頃を思い出して
「よく両親2人喧嘩してたなぁ」
「喧嘩の理由はこういう異性関係だったのかなぁ」
「母は1人で一生懸命家事とかしてくれてたな…」
とかいろいろ思い出してました。
あと母が
「昔、父の会社のことを手伝った時期もあるし、子育てを一人で頑張っていた」
と言ってたのを思い出しました。
よくよく話を聞いてみると、母が会社を手伝っている時に海外へ行ったりで…
それうまいように母は利用されてるじゃんって思いながらも、僕もコマのように2年間、父から利用されてきたわけですが…
だから、今でも、何か立場を使って利用してきたり、価値観を異常なまでに押し付けたり、弱い人を搾取する人が嫌いなんですよね。(もちろん育ててくれたことには感謝しています)
この時に僕が思ってたのはこのまま
「立場を使って価値観を押し付けてくる人へ依存した状態は良くない」
「利用されて奪われ続けられるのは本当に嫌だ」
「何も挑戦できないまま年を重ねるのは絶望…」
「弱い立場の人を守れなくて良いのか?」
「歩みたい人生って本当は何?」
ってことです。
挑戦の始まり

この時僕は、1日中、人生を振り返って
「どんな風になりたいのか?」
「どんな風に生きたいのか?」
をひたすら考えてました。
そもそも
「人として尊敬できない人と一緒に
ビジネスはできない」
家族とはいえ
「夢を潰す人からは離れるべきだ」
「死ぬ時は人生最高だったって言いたい」
「成長できるビジネス仲間とたくさん刺激的な経験をしていきたい」
「完全に自立している姿を母に見せて親孝行したい」
だから、何かに依存して生きるわけでもなく
「自立して自分の人生を生きよう」
こう決心した日でした。
(自立=人に頼らないわけではなく、外部依存を少なくするという意味です)
自立とはどれだけ他者に依存しているかを自覚する事でもあると考えてます。
自分1人のチカラで生きれるという傲慢さとは別。

そして、このように決心してすぐに僕は
「家業を継ぐのをやめる」
と伝え実家の会社を飛び出しました。
複雑な気持ちの中で、これからの希望を自らの手で捨てたのはツラかったですし不安もありました。
そして、僕は無職になってしまいました。
ですが、僕は動かなくちゃいけなかった。
弱音を吐いていられなかったです。
「どうしていこうか?」
そう考えた時に、もともとインターネットに可能性を感じていたためネットを使ったビジネスはないかと情報収集しました。
そこでたどり着いたのが
『ネットビジネスでの起業』
Twitterやブログ、YouTubeをやってある程度稼げれば、その後、法人化して会社を作れるのでは?
このような安易な考えで、僕はTwitterとブログ、YouTubeをやってみることに。
限界と不安

新しいブログ用のパソコン、撮影用のカメラ、動画編集用ソフトを買ったり、これらに関する本を30冊近く買い、
なんと総額30万近くを使っていました。
Twitterやブログも苦労しながら開設し
「こんなにお金と時間をかけたからこそ、絶対にやってやる」
とやっていったものの…
Twitterで毎日ツイートしても、ブログを毎日書き続けてても、YouTubeに動画を上げていっても、収益化し稼いでいるイメージが全く湧かない。
1ヶ月近くのあいだ途方に暮れていました。

このまま続けていって
「本当に自分で稼ぎ、独立や起業までいけるのか?」
「母へ親孝行できるぐらい立派になれるのか?」
「そもそも正しい道を進めているのか?」
独学でやっていたため、何が正解か分からず、不安の渦の中にいました。

しかし
「このままで人生は終われない」
そう強く思いました。
それに無職の状態もヤバいぞ…一度再就職しよう。
まずは働きながら、副業でネットビジネスをやってこう。
こうして諦めずに不安もありながらもキツかったですが、なんとか行動をし続けました。
そんな時、ある転機が訪れます。
奇跡の出会いと人生の転機
不安を消すために、
「とりあえず行動だ」
とTwitter運用やブログやYouTube投稿を続けながらも、ネット上であらゆる情報を収集していました。
そんな時に、コンテンツビジネスで大きく収益を上げている方と出会います。
彼はコンテンツビジネスについて丁寧に教えてくれました。
もともとコンテンツビジネスをやりたかった訳ではないですが
そもそも知らなかったですし…
ただ、その時に僕は知ったんです。
「ただ何も考えないでブログやYouTube、Twitterをやるだけでは稼げない」
むしろこのコンテンツビジネスなら
「将来的に自分のビジネスとして事業を起こせる」
「自分が頑張った分だけ収入も時間も増える」
「困っている人の力になって感謝される」
と確信できました。
そして、彼と話していくうちに…ここで一歩を踏み出さなかったら
「未来は変わらない…このチャンスは逃せない…」
と考え…
僕の人生を変える事となるネットでのビジネスが本格的に始まりました。
成功体験

初めのうちは訳がわからないことばかり、壁にぶつかったこともあります。
”実践”と”修正”を繰り返していきました。
そして、絶対に成果を出したい。
という気持ちを持ち継続していくこと1ヶ月…
なんと初収益500円。
今思うと少ないですけど、最高に嬉しい瞬間でした。
決して大きな金額ではありませんでしたが、パソコンとスマホだけでです。
単純に驚きました。
それにコンテンツビジネスの基礎的な「知識」や「スキル」が身についていると実感できました。
そして、何よりもビジネスをやり始めて感じたのは、人間理解の大切さです。
自己満足じゃ当たり前に稼げない。
だから、お客さんの理解が必要。
家業が薬局経営とは言え、まともにビジネスのことを習ってこなかったですし、人間理解もすぐにできない自分がいて、そこを変えてくのに必死でした。
その後はというと
6ヶ月目に月収40万を達成。
当時は副業でやっていましたが、その道のりで独立し、新しい仲間に出会ったりしています。
2年半経った今では月136万到達。
「よくいるビジネス開始3ヶ月後に月収100万越えしました」
みたいなタイプではなく僕は遠回りをしてしまった事もあるし、天才ではなく努力タイプです。
だからこそ今では、僕のクライアントさんもいますが、無駄に遠回りしない方法を教えてます。
実績ゼロから教え子が、初めて己の手で稼げる様になった時は自分のことのように本当に嬉しいです。

上のスクリーンショットは、僕のクライアントさんが初めて収益を出した時のやりとり。
人生が変わる瞬間に立ち会えるって最高です。
この時に僕は改めてコンテンツビジネスの正しいやり方を学べば、まったくの初心者でも大袈裟ではなく変わることができると確信。
スタート時の状況は一切関係なく、それまでの知識・経験が豊富かどうかよりも正しい知識を得てスキルをつけて
正しい方向性で努力をすることが大事だと気づいた瞬間でした。
初収益を出した彼は、ワンランク上のこともドンドンと教えていき3ヶ月目に30万の収益を出すことに成功しています。
他のクライアントさんの声はこちら▼
夢は広がり、その先の未来へ

疑心暗鬼で飛び込んだ世界でしたが、過去の体験で毎日消耗して野心を抑圧されていたあの頃とはまったく違う世界の中で生きています。
今ではコンテンツビジネスは最高の仕事であると自信を持って言えます。
なぜなら
「あなたの価値を最大化して輝ける場所を持てるビジネス」
「お客さんと一緒に自分も大きく成長できるビジネス」
「可能性が0ではなく無限大のビジネス」
と確信しているからです。
敷かれたレールを歩くことや嫌な人、違和感のある組織に居続けることが僕の人生なのか?
と僕の心に聞いてみた時に「違う」という心の声でした。
「自分の人生は自ら切り開き、夢を掴む」
この想いが眠ってました。
これからは何者かに他依存するわけでもなく「ゼロから自分で稼ぐ力をつけてやりたいことはできるんだ」
と過去の僕のように困っている人へ伝えたい。
そのために知識とスキルを武装し、情報発信を続けて常にお客さん目線で考えていくことが僕の答えです。
これからの僕のやるべきことは明確です。
昔はやっていることが正しいのかも分からず、暗闇を走り続けるような気持ちでしたが、今は力をつけて
お客さんから「ありがとう」を言われるぐらいに成長し、走るべき道が見えています。
可能性は誰にでもある
僕の人生を振り返ってみるとものすごく狭い世界にいたと思います。
しかし、その世界から自分を変えることができたのは
「未来の可能性を信じ僕自身が変わるぞ」
とまず決心し、行動したからです。
「やりたいことで経済的な自立や内面の自律ができると共に、外部の他依存を最小限にしていく。そして、人生のステージを確実に上げていく」
僕は根本にあるこの軸をぶらさないです。
✔︎他人からの無理な価値観の押し付け
✔︎十人十色を許さない国民性
✔︎立場の偉い人に従う風潮
こんなんでヒトの可能性と経済的自立まで奪うのは許せません。
今いる環境が窮屈だなと思っている人
違和感を持ち続けて日々過ごしている人
居場所を変えて前向きに生きていきたい人
これからもこんな方に向けて僕は情報発信を通して自分らしく生き、輝き続ける方法をお伝えしていきます。
それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。